2022年度シンポジウム「制限のなかの移動・移住と共生」

「制限のなかの移動・移住と共生」
 
日時 : 2022年12月18日(日)13:00-17:30 
会場 : オンライン(zoom)開催
 
報告
柿沼亮介氏「古代西海道の「辺境島嶼」と「越境」する人々」
長森美信氏「壬辰戦争における朝鮮被虜人と降倭 ―日本人になった朝鮮人朝鮮人になった日本人―」
中山大将氏「境界地域を問い続ける引揚者 ―工藤信彦樺太覚書』とサハリン島近現代史―」
 
コメント
檜皮瑞樹
 

申込締め切り
2022年12月17日 17:00


<申し込みはこちら>
https://forms.gle/hHNoaXFNcgqtmmZM6

 
 

2022年度民衆史研究会シンポジウム趣旨文

制限のなかの移動・移住と共生

 2022年2月24日、ロシアがウクライナ侵攻を開始したというニュースは世界中の人々を震撼させた。その後、短期間で収束するであろうという大方の予想を裏切り、戦争は長期化している。西側諸国はロシアを非難し、ウクライナに武器供与、資金援助を行うなど支援を続けている。そうした戦時下にあって、日常生活を奪われた1千万人を超すウクライナ難民は、隣国ポーランドをはじめ外国へ避難することを余儀なくされている。より安全な地を求めたこうした移動のみならず、数十万人がロシア、ひいてはシベリアへ強制連行されるという衝撃的なニュースも伝えられた。
 戦時に限らず、国の政策、あるいは商業上・宗教上の要因などで、多くの人びとが国境を越える移動へと誘導されたり、あるいは他に生きる術がなく移住という手段を選んだりする事例は、世界史上枚挙にいとまない。先の大戦期における日本人の海外移住もその一例と言えよう。経済的繁栄を餌に多くの人々が満州や南方への移住へといざなわれた。また逆に、古代の日本には朝鮮半島から人々が渡来し、様々な技術や学問・宗教をもたらしたが、彼らの中には母国が滅びたが故に、政治的亡命という手段を取らざるを得なかった者も多く含まれていた。このように歴史を振り返れば、非日常の中で海を渡った人たちが数多くいたのである。
 世界各国が相互に交流するようになった現代では、自由意志による、国境を越えた移住・移動が可能であり、自ら進んで国外移住を選択する人も多い。交通手段やソーシャルネットワークの発達が、そうした移住への壁を低くしている面もあろう。しかし古代から現代に至るまで、半ば強制的に国外移住を強いられた人々、窮余の一策として国外へと移住した人々は、移住先に関する予備知識もさしてない中で、必然的に異文化の中に生きることを強いられ、苦境の中で自らの途を切り拓いてきたのである。ミクロ的視点で見れば一人ひとりに異なるドラマもあろう。現代では想像し難い厳しい環境下で生きた人々の体験から、我々が学ぶことも多々あると考えられる。
 そこで本シンポジウムでは、古代から近現代に至る歴史の中で、何らかの必要に迫られた、あるいは強制された国外移住・移動の事例を共通テーマとして議論を展開してゆきたい。一口に移住・移動と言っても時代によりその実態は変化し、それにより研究手法や使用する史料の性質も異なる。時代を跨いだ多彩な研究を一同に提示することで、今後この領域における研究の多様化に資するところがあるだろう。


 柿沼亮介氏による報告は、古代の西海道の辺境島嶼での人々の交流に着目し、対馬壱岐をはじめとする島嶼部に対する支配と、そこで行われた自由な人々の交流について検討する。柿沼氏は本報告で、朝廷への朝貢を行う服属する存在としての側面だけでなく、島嶼を拠点とした新羅、中央の貴族との交易、あるいは生業によって自由に越境することができた存在としての側面を打ち出す。この研究は、従来の律令国家のイメージとは異なる実態が古代に展開されていたことを示すだけでなく、中世へとつながる国境の認識について言及している点で、古代の対外交流の実態を考える上での一助となるであろう。
 近世史では、徳川政権の海禁政策期以前に大規模な民衆の国外移動・移住を発生させた対外戦争、「文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱)」に着目したい。1950年代以降「太閤検地論争」の影響を受け、同戦争の原因や経過に関する議論が深まる中で、日本に強制連行された朝鮮人被擄人の研究が進展した。先行研究では陶工や儒学者等、文化的側面には蓄積がある一方で、自ら記録を残さず、日本国内外に散在した数多の被擄人の実態についてはいまだ研究途上にある。これらの解明は、戦争が民衆にもたらす被害の普遍的問題性を考えるにあたっても、今まさに重要な取り組みであろう。
 近世史の長森美信報告は、徳川政権の海禁政策期以前に大規模な民衆の国外移動・移住を発生させた対外戦争である、壬辰戦争(文禄・慶長の役/壬辰・丁酉倭乱)をテーマとする。1950年代以降「太閤検地論争」が繰り広げられる中で、日本に強制連行された「朝鮮被擄人」や、朝鮮軍に投降した日本軍兵士「降倭」に関する研究が進展した。ただし、自ら記録を残しにくい彼/彼女らについてはいまだ不明な点が多く残る。長森報告では、朝鮮被擄人と降倭それぞれの実態解明や比較検討を通じて、日朝双方の視点から、壬辰戦争と民衆の関係や、近世東アジアにおける移動・移住や「外国人」の扱いをめぐる問題について考察を深めていく。
 近現代における国家間移動としては、人口問題解決のためなどによる移住と、侵略的植民に大別できる。戦前の研究では移民・植民を一括して捉える場合が多く、戦後は別物として捉えられたが、その後農業・商業などを含む統合的な研究が進展した。1990年代以降はグローバル化の流れの中で移民・植民研究の相互乗り入れが進み、近年では移民・植民のアジア太平洋地域の政治秩序への影響にも研究が及んでいる。その中で今回は、日本人が幕末から何度も移住を試み、さらにロシアとの国境も問題視されてきた樺太に焦点を当て、境界変動等について検討したい。
 近現代における国家間移動に関しては、近年、移民・植民研究の垣根を超え、産業を絡めた総合的研究や、政治秩序への影響など新たな研究が進展している。報告者中山大将氏は日露関係の変化により翻弄されてきた樺太に焦点を当て、従来の「開拓史観」の虚構性を明らかにするとともに、第二次大戦後に樺太に残された民衆についても調査を重ねてきた。それら研究成果を踏まえ、本報告では樺太からのある引揚者の「覚書」を素材とし、単なる「語り手」とは一線を画す、自ら「問い」考える「主体」である引揚者の存在を示すことを通じ、境界地域をめぐる「生」の有り様について論じる。「歴史を語り継ぐ」という問題に関しても、新たな視点を与えてくれるであろう。


 各時代に共通するのは、その時々の権力下、その他の制約の中で、移住先でしたたかに生業を営む人びとの姿である。その舞台が日本であれ外地であれ、該地の政情、周辺諸国との境界、異文化接触、といった複雑な要素の中に、民衆の適応努力や生命力を問いたい。