民衆史研究会2014年度大会シンポジウム

下記の通り、民衆史研究会2014年度大会シンポジウムを開催いたします。会員、非会員の方にかかわらず、広く皆さまのご参加を歓迎いたします。ふるってご参加ください。

近世につくられた「中世」―「語り」の視点から―


報告

      「近世軍書がもたらした歴史観―「武将」「大名」をめぐる「語り」」

  • 黒田 智氏(金沢大学)

      「本多平八郎の兜」

      「信長・秀吉と徳川史観」

  • コメント:平山 優氏(山梨県立中央高等学校)


開催趣旨

昨今の研究状況において、歴史における「語り」についての研究は進展著しい分野であろう。
例えば、「戦国大名」とはどのような存在であったのかということを考える場合、権力を担保する正当性を大名がいかに構築し、公の権力として民衆といかに関係を形成していくか、あるいは民衆が何をもって大名を公の権力として認め、またその存在をいかに受容していったか、といったことがひとつの論点・問題となる。この問題に対し中世史研究では、戦国大名は裁判・治水管理といった公共機能や安全保障をはじめとした軍事的諸機能を担ってゆくと同時に、源平といった血脈や上位権力よりあたえられた文書に自らの正当性を求め、主張することによって大名権力を構築したことを明らかにしてきた。一方、近世史研究では、大名が家伝書や戦国軍記の制作、修史事業によって自ら(あるいは主家)を正当なる権力者として語るという営みを行う一方、民衆もまたそうした大名権力の語りを物語・図像化し、ときに娯楽として、ときに風刺として消化していったことが明らかにされている。こうした支配者・被支配者双方の営みに共通する点に「語り」が挙げられる。先に挙げた例を用いれば、中世の段階では戦国大名が「語る」ことによって自らの正当性を創出しており、近世に入るとさらに民衆が大名の「語り」を受容し、手を加えた上で新たな「語り」を創出していく流れも見いだされるようになる。このことは、「語り」によって、実態との乖離を大きくしながら、「作られた歴史」が錯綜・複数化し層を厚くしていったことを示唆している。
こうした「語り」についてあつかった研究については、「語られた」対象である戦国大名(武将)を扱ったものが多く、日本史学では例えば甲陽軍鑑への史料学的アプローチが行われ、国文学では戦国軍記研究等が行われてきている。しかし、これらの研究はそれぞれが別個のものとして存在し、総合的にまとめられた機会は少なかったように思われ、また近世の編纂物に関する研究と中世史研究との接合も大きくは進んでいない現状である。
「語り」が同時代人の心性を探る重要な手がかりとなることは、井上泰至氏らによって既に指摘されているとおりであり、「語り」を探ることで「歴史」がいかに「作られて」いくのか、言い換えれば民衆がいかに「歴史」を受容し、いかに「作られた歴史」を形成していったのか、さらに言えばそのような動きの背景にはどのような社会状況や時代性があったのかということを明らかにできると思われる。
そのような「語り」の視点から、井上氏は文禄・慶長の役をテーマにそれが同時代から近世、そして維新を経て日清戦争期等でいかに語られたのかということについて軍書の検討を中心に明らかにしてきた。また、絵画史の視点からは、黒田智氏によって特定の人物がどのような像として語られていったのかという研究も行われている。さらに、堀新氏は江戸時代を通じて形成された「徳川史観」が現在に至るまでの歴史像の形成に大きく影響していたことを明らかにしており、織豊期という時代を考えるとき「徳川史観」というフィルターを剥がさなければならないことを強く主張している。
このような研究は、酒井憲二氏や太向義明氏が指摘している「誤謬の糾弾」のみならず、「記されている(使われている)言葉の性質やその歴史」という観点からの再考、言い換えれば、なぜ「作られた歴史」が受容され続けたのかという問題に対して解答し得る視点・方法である。
戦国大名や武将、中世という時代像が今もなお小説・ドラマ・ゲーム等で種々形成されてきているという事実があるように、「作られた歴史」が場合によっては実態から遊離を伴いつつ、いかに形成され変遷するのかというテーマには、その語り手たる人々の心性や武士像といった現代まで続きかつ変容してきた「日本人」像、さらには史料論及び関連する大名や「時代」の実態研究といった点の再検討が期待できる。また、中世史・近世史研究の接合はもちろんのこと、史学・国文学といった多分野からの視点によって研究を深化させることも可能であろう。
以上の理由から、本年度の民衆史研究会大会は「近世につくられた「中世」―「語り」の視点から―」というテーマで開催する。