民衆史研究会2017年度大会シンポジウム

下記の通り、民衆史研究会2017年度大会シンポジウムを開催いたします。会員、非会員の方にかかわらず、広く皆さまのご参加を歓迎いたします。ふるってご参加ください。


「御救」と近世社会


報告

     「近世後期的「御救」の構造ー金融政策を中心にー」(仮)

  • 栗原健一

     「越境する「御救」ー天保期の信州松本藩領を事例にー」(仮)

  • コメント:早田旅人


開催趣旨

本シンポジウムでは、近世日本において、民衆の生活の成り立ちを担保していた社会の構造とその歴史的変遷について、その矛盾も含めて理解を深めることを試みる。


経済のグローバル化が進行するなか、現代日本は、バブル崩壊以降、経済成長への明確な見通しが得られない時代が長く続き、私たちの生活基盤はますます不安定なものとなっている。社会のなかで広がる格差や貧困を前に、国家や社会がどのように向き合っていくかが、いっそう問われている状況にある。


もちろん、これまでの近世史研究は、格差や貧困の問題に鋭く切り込んできた。幕藩制構造論や人民闘争史は、近世社会で階級間に横たわる構造的矛盾を検出し、闘争による社会変革への道筋を見出だそうとしたものであった。やがて、そこで支配構造と階級利害が強調され過ぎた結果、見落とされてきた諸問題の克服が目指されるようになる。村落史研究は、近世の村が、単に村請制の貫徹した末端支配機構だったのではなく、共同体として様々な機能をもち、これを基盤とした土地所有や金融の慣行を発達させていた点を明らかにした。百姓一揆研究は、「御百姓」が公租を納めている限り、領主は「御救」に代表される「仁政」を施して「百姓成立」を保障しなければならないという、支配−被支配間の関係意識を見出だし、階級利害とは異なる社会通念のあり方を明らかにした。「御救」は、経済史の概念から、広く国家社会の仕組みを象徴するキーワードとなった。
こうした研究の上に、現在では、近世後期、領主が財政難により「御救」機能を弱めて村へと負担を転嫁していき、村も貨幣経済の浸透により共同体的な機能を弱めていくと、貧富の格差が拡大し、民衆は打ちこわし騒動のなかで、富裕層へ施行を求めていくようになると同時に、篤農家を核とした農村復興運動も起こってくる、という時代の流れが提示されている。また、こうした状況下で領主と民衆の板挟みに合った中間層が、明治維新の制度変革を希求したという見解も出されている。


しかし実際のところ、領主ごとにつくられる「御救」政策のあり方や、民衆を取り巻く社会環境は、地域差・時期差をはらんで多様である。この多様さに見合った歴史像を描くには、未だ研究の積み重ねが必要であろう。その際には、単に「御救」政策の推移や、村の機能などの局面を見るだけでなく、それらを規定する諸条件を含めて一つ一つの事例を位置付けていく、視野の広さと分析の緻密さが求められる。
そこで本シンポジウムでは、「御救」を多様な視点から捉えなおすことを意識しつつ、民衆生活の成り立ちを担保していた国家・社会のあり様を考えていきたい。


右肩上がりの時代はとうに過ぎた。だが、過激な闘争による社会変革も現実味を失って久しい。今や格差や貧困という問題に向き合うには、国家、社会の諸アクターが、どんな機能をどこまで果たすのかを緻密に擦り合わせ、より良い社会を模索していくことが求められている。多角的に「御救」論を広げていくことは、こうした時代の要請にも応えうるものとなろう。活発な議論を期待したい。

『民衆史研究』93号、2017年5月

  • 特集 古代の仏教受容と在地支配 ―地域社会と村堂―
    • 民衆史研究会委員会「特集にあたって」
    • 藤本誠「古代村落の「堂」研究の現状と課題」
    • 堀内和宏、濱村一成「竹松遺跡と西日本の村落寺院」
    • 川尻秋生「古代東国の在地社会の仏教 ―村落寺院・開発・双堂―」
    • 山口えり「古代の在地における仏教施設 ―精神的紐帯としての選択―」
    • 中村憲司「討論要旨」
  • 書評
    • 澤村怜薫「渡辺尚志編『相給村落からみた近世社会―上総国山辺郡台方村の総合研究―』」
    • 泉正人「椿田有希子著『近世近代移行期の政治文化―「徳川将軍のページェント」の歴史的位置』」
    • 大門正克「藤野裕子著『都市と暴動の民衆史―東京・一九〇五〜一九二三年―』」
  • 新刊紹介
    • 児玉憲治「渡辺尚志編『移行期の東海地域史 中世・近世・近代を架橋する』」

『民衆史研究』92号、2016年12月

  • 特集 近代日本における知識青年
    • 民衆史研究会委員会「特集にあたって」
    • 木村洋「文学青年の来歴 −日露戦争前後」
    • 町田祐一「大正初期における「高等遊民」問題と試験制度改正運動」
    • 伊東久智「「院外青年」運動と労働運動 −第一次大戦直後の都市社会における諸運動交錯の一側面」
  • 論文
    • 芹口真結子「一九世紀初頭における<俗人>の教化活動と真宗教団」
  • 書評
    • 服部英雄「海老澤衷・酒井紀美・清水克行編『中世の荘園空間と現代 備中国新見荘の水利・地名・たたら』」

2016年度民衆史研究会総会・大会シンポジウムの様子

2016年度民衆史研究会総会及び大会シンポジウムが11月27日に開かれました。その様子をご紹介いたします。

    • 2016年度総会の様子

    • 2016年度大会シンポジウムの様子



委員会を代表して中村憲司氏によって主旨文が読み上げられました。



第一報告の藤本誠氏の様子。




第二報告の茺村一成氏の様子。




第三報告の川尻秋生氏の様子




司会・コメントの山口えり氏の様子。





討論も活発に行われました。



報告者のお三方・コメンテーターの方々、また、当日足をお運びいただいた方々にはこの場を借りてお礼申し上げます。

民衆史研究会2016年度大会シンポジウム

下記の通り、民衆史研究会2015年度大会シンポジウムを開催いたします。会員、非会員の方にかかわらず、広く皆さまのご参加を歓迎いたします。ふるってご参加ください。

古代の仏教受容と在地支配 ―地域社会と村堂―


報告

      「古代村落の『堂』研究の現状と課題」

      「竹松遺跡と西日本の村落寺院」

      「古代東国の在地社会と仏教」


開催趣旨

太平洋戦争がおわり、それまでの皇国史観が否定されると、歴史学では一般庶民の歴史に焦点を当てた民衆史研究が活性化した。識字層が限られた古代では、民衆が主役となる数少ない史料として『日本霊異記』が挙げられる。在地の仏教信仰を明らかにしようとした直木孝次郎氏の研究は、この『霊異記』にみえる「寺」・「堂」と呼ばれる宗教施設に着目するものであった。その後の宮瀧交二氏によって、古代の村落社会に存在した「堂」の機能や造営主体が論じられ、鈴木景二氏によって官大寺僧の布教活動が在地の仏教受容に大きな役割を果たしていたと解明された。
このような文献史学の成果は、日本各地の集落遺跡で小規模な村堂遺構が発掘されたことで考古学的にも裏付けられている。関東地方の事例が中心であるこれらの宗教施設は須田勉氏によって、村落内寺院(村落寺院)と呼ばれている。村堂の発掘事例は九世紀前半のもの、そして特に房総半島に多く、四面廂(建物を全周する廂)の遺構が特徴とされる。なかには、同一の僧名を記した墨書土器が複数の地域で出土する事例もあり、中央の僧侶が地方村落を巡廻して布教をすすめた証しとなろう。最近発掘調査された竹松遺跡(長崎県)でも、九世紀代と見られる村堂遺構が出土している。在地の村々を回り、村堂で活動した遊行僧の布教圏の解明、さらに地域で異なる在地仏教の偏差・特色を明らかにしてゆく事は、今後の地域史学の課題でもある。
日本各地の在地仏教の特色、さらには仏教が各地の共同体で果たした役割を解明するには、文献史学と全国の考古学的事例の絶え間ない突合せが不可欠である。なにゆえに在地社会が仏教を受容してゆくのか、そして在地社会に村堂を建立した主体・理由は何であったのかは、古代史のみならず中世・近世と連携して、日本の歴史学が解明すべき大きな課題である。
このような問題意識のもと、今年の民衆史研究会では古代の村堂と仏教布教をシンポジウムのテーマとする。

                                


民衆史研究会2016年度大会シンポジウム(予告)

下記の通り、民衆史研究会2016年度大会シンポジウムを開催いたします。会員、非会員の方にかかわらず、広く皆さまのご参加を歓迎いたします。ふるってご参加ください。

(仮)古代の仏教受容と在地支配

  • 日時     2016年11月27日(日)13:00〜17:00(予定)
  • 会場     早稲田大学キャンパス内(確定次第、掲載いたします)
  • 報告者(確定)

    ・川尻秋生早稲田大学文学学術院教授)
    ・堀内和宏(長崎県教育庁
    ・藤本誠(慶応大学文学部・専任助教