民衆史研究会2016年度大会シンポジウム

下記の通り、民衆史研究会2015年度大会シンポジウムを開催いたします。会員、非会員の方にかかわらず、広く皆さまのご参加を歓迎いたします。ふるってご参加ください。

古代の仏教受容と在地支配 ―地域社会と村堂―


報告

      「古代村落の『堂』研究の現状と課題」

      「竹松遺跡と西日本の村落寺院」

      「古代東国の在地社会と仏教」


開催趣旨

太平洋戦争がおわり、それまでの皇国史観が否定されると、歴史学では一般庶民の歴史に焦点を当てた民衆史研究が活性化した。識字層が限られた古代では、民衆が主役となる数少ない史料として『日本霊異記』が挙げられる。在地の仏教信仰を明らかにしようとした直木孝次郎氏の研究は、この『霊異記』にみえる「寺」・「堂」と呼ばれる宗教施設に着目するものであった。その後の宮瀧交二氏によって、古代の村落社会に存在した「堂」の機能や造営主体が論じられ、鈴木景二氏によって官大寺僧の布教活動が在地の仏教受容に大きな役割を果たしていたと解明された。
このような文献史学の成果は、日本各地の集落遺跡で小規模な村堂遺構が発掘されたことで考古学的にも裏付けられている。関東地方の事例が中心であるこれらの宗教施設は須田勉氏によって、村落内寺院(村落寺院)と呼ばれている。村堂の発掘事例は九世紀前半のもの、そして特に房総半島に多く、四面廂(建物を全周する廂)の遺構が特徴とされる。なかには、同一の僧名を記した墨書土器が複数の地域で出土する事例もあり、中央の僧侶が地方村落を巡廻して布教をすすめた証しとなろう。最近発掘調査された竹松遺跡(長崎県)でも、九世紀代と見られる村堂遺構が出土している。在地の村々を回り、村堂で活動した遊行僧の布教圏の解明、さらに地域で異なる在地仏教の偏差・特色を明らかにしてゆく事は、今後の地域史学の課題でもある。
日本各地の在地仏教の特色、さらには仏教が各地の共同体で果たした役割を解明するには、文献史学と全国の考古学的事例の絶え間ない突合せが不可欠である。なにゆえに在地社会が仏教を受容してゆくのか、そして在地社会に村堂を建立した主体・理由は何であったのかは、古代史のみならず中世・近世と連携して、日本の歴史学が解明すべき大きな課題である。
このような問題意識のもと、今年の民衆史研究会では古代の村堂と仏教布教をシンポジウムのテーマとする。