2007年度民衆史研究会大会シンポジウム主旨文

以下は大会当日に配布した主旨文になります。ご覧ください。

  • 「医療の国民化」を考える ―現代史のなかの医療と民衆―

経済のグローバル化新自由主義が世界を席巻している昨今、“福祉国家”の変容・解体が様々なレベルで議論されている。日本社会においても、年金や健康保険など社会保険制度の全般的なゆきづまりが問題となっているのは周知の事実である。こうした“福祉国家”の大きな変貌を前にして、近年これを学問的に検証しようという動きが強まっている。「福祉国家」と名のつく書籍を探してみれば、政治学、経済学、社会福祉学などの研究はもちろんのこと、社会学歴史学の分野においても、“福祉国家”に対する関心が高まりを見せていることが分かるであろう。医療の問題は、そうした“福祉国家”の問題群のなかでもひとつの焦点をなしている。
近年の医療制度改革の流れのなかで、国家が国民すべてに医療を受ける権利を保障するという従来の政策枠組はその根底から揺らぎつつあるが、そもそも日本において、近代的な医療の受け手が拡大する端緒は、戦間期以降、なかんずく1930年代から40年代にかけてのことだったといわれている。国家総力戦体制の構築過程で、国民健康保険法(1938年)、国民医療法(1942年)といった重要な法律が公布・施行され、「健民健兵」育成のため国民に“健康”の義務を課し、そのための監視体制を全国的に網羅することが国策として目指されたのである。
本シンポジウムでは、医療がこのような過程を経て拡大・浸透する過程を、「医療の国民化」と呼ぶことにしたい。医療史の研究*1で一般的に使用されている「医療の社会化」ではなく、「国民化」と呼ぶのは、医療の普及が、民衆を「国民」として規律化・動員することと深く関わっているため、医療の拡大過程そのものを批判的に検討する視座を得るためである。こうした「医療の国民化」が、“人的資源”を国家目標にそって動員するためのひとつのテクノロジーであり、人々を“有用性”の基準で峻別・序列化する機能を担っていたことは、近年の研究でも明らかにされている*2。また、植民地民衆を“人的資源”として過酷に収奪していく総力戦期の事態も、この序列化を背景としていると考えられよう。
戦後社会においては、“健康”は権利としての位置づけ(憲法第25条)を得て、医療の受益者は格段に広がっていく。しかし同時にそれは、健康(健全)/不健康(不健全)という戦前以来の価値体系を引き継ぎつつ、“健康”の規格をくりかえし再生産していく過程でもあった。とりわけたびたび行われる政府や企業の健康キャンペーンは、個人が選び取っているかのように見える“健康”のための努力が、国家や資本の欲望と密接な関係にあることを示唆するものであった*3。戦後を生きる民衆もまた、近代医療を場として繰り広げられる「生の剥奪」から自由ではありえなかったのである*4
このように概観してくると、戦間期以降の医療の普及の歴史は、常に権力による民衆の動員、規律化と分かちがたく結びついていたことが理解されよう。しかし、こうした理解には一方で大きな疑問も残る。たとえば社会政策史の相澤與一氏が、戦時期における国民皆保険化の状況について「医療窮乏に苦しむ農民たちの痛切な必要と要望を反映し、それらが組織され吸収された側面もあったはずである」としているように*5、「医療の国民化」は、動員や規律化の契機としての側面を持ちつつも、同時に民衆の切実なる生への望みとの往還の中に位置づけられるものであろう。したがって、その内実をめぐっては、結果論的な統合論的把握ではなく、むしろ常にすれ違いや相克を内包する過程として、動態的把握がふさわしいはずである。医療をめぐる民衆の運動や意識状況にひきつけて「医療の国民化」を再構成し、動員や規律化といった概念には単純には収斂しえない様相を捉えていくことが要請されているといえよう。
こうした問題意識から、本シンポジウムでは、これまで制度史的、政策史的な方法で捉えられることの多かった1920年代から50年代にかけての時期の「医療の国民化」について、地域社会や社会運動、民衆の生活実態といった側面に着目することで、再検証を試みたい。そこで当委員会は、次の3名の方々に報告とコメントをお願いして、今回のシンポジウムを構成した。
まず中村一成氏には、「戦前・戦時の都市民衆と医療」と題して、「滝野川区健康調査報告」などを題材に、1920年代から戦時期にかけての都市民衆の医療要求の実態的把握を行っていただく。都市における民衆の医療要求の存在形態と変容過程を捉えることにより、「医療の国民化」が内包する矛盾や相克の契機が浮き彫りになるであろう。
次に、鬼嶋淳氏には「戦時・戦後の保健医療問題と農村社会」と題して、1930年代後半から50年代初頭にかけての時期の農村地域における保健医療問題についてご報告いただく。地域社会における複数の勢力の対抗状況に視点を置くことで、規律化・動員とは必ずしも符合しない民衆の医療受容をめぐる重層的な展開が明らかになるであろう。
このように、都市・農村の両面から「医療の国民化」の様相を取り上げた両報告の内容を受けて、高岡裕之氏には、より広い視野から日本近現代史における医療をめぐる論点をご提示いただくとともに、医療と社会、民衆の関わりについての歴史研究の展望についてコメントしていただく。
本シンポジウム全体を通して、近年の研究で追求されてきたような動員や規律化といった志向とは異なる角度から“福祉国家”の原像が照らし出され、医療と民衆の関わり方の具体像が導きだされるであろう。今回の企画が、ポスト“福祉国家”を見据えていく上で、何らかの手がかりとなれば幸いである。活発な討論を期待したい。             

  • 参考文献

*1:川上武『現代日本医療史――開業医制の変遷』(勁草書房、1965.2)、佐口卓『医療の社会化』(第二版、勁草書房、1982.9)など。

*2:美馬達哉「軍国主義時代――福祉国家の起源」(佐藤純一・黒田浩一郎編『医療神話の社会学世界思想社、1998.1)、「身体のテクノロジーリスク管理」(山之内靖・酒井直樹編『総力戦体制からグローバリゼーションへ』平凡社、2003.1)、鐘家新『日本型福祉国家の形成と「十五年戦争」』(ミネルヴァ書房、1998.10)、藤野豊『厚生省の誕生――医療はファシズムをいかに推進したか』(かもがわ出版、2003.8)。

*3:鹿野政直『健康観にみる近代』(朝日新聞社、2001.4)、野村一夫ほか『健康ブームを読み解く』(青弓社、2003.7)。

*4:美馬達哉『<病>のスペクタクル――生権力の政治学』(人文書院、2007.5)

*5:相澤與一『日本社会保険の成立』(山川出版社〈日本史リブレット〉、2003.11)。