民衆史研究会2013年度大会シンポジウム

下記の通り、民衆史研究会2013年度大会シンポジウムを開催いたします。会員、非会員の方にかかわらず、広く皆さまのご参加を歓迎いたします。ふるってご参加ください。

総力戦と食
―近代日本における「食」の実態とポリティクス―


報告

      「食をめぐる関係の動員/連帯という可能性
               〜≪米食共同体≫と民衆〜」

      「戦時期における「料理」と「栄養」の相克
              ―ラジオの料理放送を中心に」

      「総力戦下の外米輸入:1940−43」


開催趣旨

1990年代後半から2000年代にかけて、従来の「グルメ」とは異なった観点から「食」への注目が高まった。折からの健康ブームに乗り、「健康」になる・であるための食事や食習慣が次々と提示され、一方では「フードファディズム」の批判を呼ぶほどに連日マスメディアを賑わし続けた。また、数々の食品偽装事件や、集団食中毒の流行、BSEの問題などは、その都度食の安全性について世論を紛擾させ、さらに遺伝子組み換え食品は新しい技術の導入をめぐる不安を惹起した。環境問題やグローバリゼーション、世界的な飢餓の問題なども改めて注目を浴び、この時期、かつてないほど多角的に「食」への議論・関心が高まった。しかし一方で、「正しい食」をめぐる議論は、短絡化のあまり暴力的なものにもなりえること、現行の抑圧を隠蔽し再生産する可能性すらあることも、その中で同時に明らかとなってきた。
この過程において露わになったのは、現代社会においては「食」という、またはそれをめぐる行為や現象は否応なく二重三重に政治力学の磁場の中にあり、個々人の嗜癖の領域を超えて、社会的な事柄として、あるいは公共の関心事として「食」を語ろうとした場合、本人の意図に関係なく、政治的な文脈の網の目に取り囲まれてしまうということではないだろうか。
従来、学術領域における「食」の歴史研究は、主に家政学民俗学民族学などによって推進されてきた。一方で歴史学、特に近現代史においては、流通や食糧政策といった経済史の一分野を除いては、「食」は好事家的な対象として冷遇されてきたのであり、これら異なる学問分野における「食」の歴史研究の蓄積も、あまり顧みられることがなかった。
しかし近年は状況が変化しており、海外の歴史学における「食」研究の潮流が精力的に紹介されている。また国内においても、今までとは異なった角度や枠組みからの「食」の歴史研究が、歴史学外の複数の学術分野から提起されてきている。これらの研究は極めてアクチュアルな問題意識を持つとともに、国民国家論や総力戦体制、近代家族制度や性別役割規範など近年の近現代史における重要な議論とも深く関連するものである。
このような状況を踏まえて、本大会においては、近現代史における重要なテーマ、もしくは視角として「食」を提起したい。
その際特に、総力戦下とその前後の時期に注目したい。それは、生産における技術改良や工業化による加工・保存・流通の大きな変化、さらに植民地の食糧供給基地化をも含む食糧政策の展開などによって、いったんは後景にしりぞいたはずの飢餓・食糧不足が、大きな社会的問題となり、幅広い地域・層の人々によって経験された時期であり、そのため近代以降の社会における「食」というもののあり方が、その陰影を含めて集中的に現れてくる可能性のある時期だからである。
そこでは近代以降の社会における「食」と政治との抜き差しならぬ諸関係が場合によっては露骨なまでに姿を現すだろう。また一方で、イデオロギーとして存在するだけでなく、個々人の身体的欲求でもあるところの「食」をめぐって、人々が示す複雑な諸相が集約的に浮かびあがる場ともなるだろう。
日々の暮らしを営む民衆にとって、その生活の一部として欠かすことのできない「食」というものが、近代において果たしてどのような意味をおび、またはどのような意味づけに取り囲まれていたのかを、その食の実態とも照らし合わせつつ考える作業は、当然のことながらいまだ「食わずには生きてゆけない」我々にとっても、重要な視角と思考の場を提示してくれるであろう。